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遠いお墓と、近いおまいり — 変わりゆく供養のかたちと家族の記憶

はじめに

「お墓」と聞くと、みなさんはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。静かな霊園やお寺の一角に並ぶ、昔ながらの和風の墓石の数々。先祖代々受け継がれてきた伝統や、法要の時に家族で集まる光景。日本人にとって、お墓はただ“遺骨を納める場所”というだけでなく、「家族のつながり」を実感できる特別な存在でした。お盆やお彼岸になると、帰省して墓参りをするのが当たり前……。しかし今、そんな「当たり前」が少しずつ変わり始めています。

社会の変化や家族構成の変化に伴い、お墓との付き合い方も大きく変化してきました。遠方に先祖代々のお墓をもつものの、そこを管理する人がいない、あるいは「そもそも継ぐ人がいない」という問題に直面している家庭も少なくありません。「」という言葉が一般化してきたのも、その象徴のように思えます。そしてそんな時代の変化の中で、いま静かに注目を浴びつつあるのが「自宅に置ける小さなお墓」なのです。

本稿では、筆者自身の実体験や家族の思いを交えながら、これからの日本でお墓がどのように変化していくのか、その背景や理由、そして「自宅に置けるお墓」という新しい選択肢の魅力と課題について掘り下げていきたいと思います。読み進めるうちに、「お墓」の在り方、そして「供養とはなにか?」という根源的な問いが浮かび上がってくるかもしれません。

第1章:父の決断と墓じまい

私の父が「墓じまい」を決断したのは、父が70歳を超えたばかりの頃でした。父方の墓は遠く岩手県の山間部にあり、私を含め家族は首都圏に移り住んでいるため、普段はなかなかお参りに行けない状況が長く続いていたのです。父自身もすでに足腰が弱り、気軽に遠出ができる年齢ではありません。岩手のお寺へは車で7時間以上、新幹線やバスを使っても乗り継ぎの手間を考えると丸一日の移動。それを毎年何度もこなすのは正直なところ難しくなっていました。

さらに、そのお寺の住職さんも十数年前に亡くなられ、今は近隣のご住職数名が交代制で墓地やお堂を守ってくれているとのこと。そもそも、いつ行っても同じ方に会えるわけではない。仮に墓じまいをするとして、誰にどのように連絡を取ればいいのか、まったく見当がつきませんでした。

最初の難関は「情報不足」です。電話番号や連絡先のわかる方がほとんどいない。戸惑う父と私にとって、親戚づてに情報を集めるしか方法がありませんでした。昔、夏休みに親戚総出で帰省していた頃は、近所のおじさんおばさんと顔見知りで、ある程度のつながりもあったのですが、すでにあちらも高齢化が進んでおり、当時を知る人はかなり少なくなっていたのです。

ようやく何度かのやり取りの末、現在お寺を一時的に管理している住職さんの連絡先を入手し、「墓じまいを検討している」と正直に相談しました。すると驚いたのは、「同じ相談をされる方が増えている」と言われたことです。「遠くに行ってしまってお墓が見られない」「もう継いでくれる子どもがいない」「将来的に管理が負担」——理由はさまざまですが、どこも同じような事情を抱えているとのことでした。

続いての難関は「費用面」です。私も父も、それなりに高額なことは想定していたものの、いざ見積もりを提示されたとき、その額には正直言って気持ちが揺らぎました。「この費用を工面するには、ちょっと厳しいな……」。でも父は、「先祖のおかげで自分がいる。感謝の気持ちをきちんと表したい」と言い、最終的には納得して墓じまいを依頼することになりました。ただ内心では、もう少しリーズナブルな選択肢はなかったものかと、複雑な思いもぬぐえなかったのです。


第2章:変わりゆく日本のライフスタイルとお墓事情

この30年、日本の社会は驚くほど大きな変化を遂げてきました。都市部への人口集中、核家族化、晩婚化や非婚化、それに伴う少子化。高度経済成長期から平成、令和へと時代が移り変わるなかで「家族」のあり方も多様化し、地方に住む親や祖父母のもとへUターンする人は決して多くありません。その結果、「お墓は遠くにあり、頻繁には行けない」という状況が生まれ、さらに「管理やお参りは誰がするの?」という問題が浮上するのです。

都市部では霊園の区画整理が進み、郊外には大型の公園墓地が次々と整備される一方、値段も手頃とは言いがたい状況。また、子どもの数が減ることで、将来的にお墓を継ぐ人も減少し、「代々の墓」という概念自体が今後崩れ去るのではないか、と危惧されるほどです。

少子化の波は、お寺や神社などの宗教施設にも深刻な影響を及ぼしています。地方の小さな寺院では後継ぎが見つからず廃寺となるケースも珍しくありません。存続が難しい寺院が増えれば、お墓を維持管理できるところも減っていく。これは今後、日本のどの地域でも起こり得る光景かもしれません。私の父方の岩手のお寺も、おそらくそんな状況の一歩手前まで来ているのだろうと痛感しました。


第3章:自宅に置ける“小さなお墓”という選択肢

こうした時代背景の中、「そもそもお墓という形にこだわる必要があるのか?」という疑問もちらほら聞かれるようになりました。もちろん、宗教観や地域の慣習が大きく作用するので、全員が同じ方向に進むわけではありません。それでも、「手元供養」や「自宅での供養」に注目する方が着実に増えているのは事実です。

手元供養とは?

焼骨の一部、あるいはすべてを小さな骨壷やアクセサリー状の入れ物に納め、自宅で保管・供養する方法です。「ペンダント型」「ブレスレット型」「小さな陶器」「ガラス細工」など、そのバリエーションは実に多彩。最近では、ミニ仏壇のようなおしゃれなケースに骨壷を収めてリビングに置いたり、インテリアと調和するようにデザインされたオブジェ型の容器も登場しています。

このような「小さなお墓」は、家においていつでも故人を身近に感じられるメリットが大きい反面、抵抗感を覚える人もいるでしょう。なかには「お骨はやはりお墓に納めるべき」という考え方も根強いです。しかし実際に手元供養を選択する人は、「遠方に行かなくても、毎日手を合わせられる」「何かあったとき、すぐに故人と対話できる気がする」といった心理面の安心感を得ているようです。

メリットとデメリット

  • メリット
    1. 日々の生活で故人を近くに感じられる
      忙しくても手を合わせることが負担にならない。
    2. 経済的負担が比較的軽い
      新たなお墓を建てたり、遠方の霊園を買う費用と比べると安価。
    3. ライフスタイルの変化に対応しやすい
      転勤や移住があっても、自宅供養ならそのまま持ち運びが可能。
  • デメリット
    1. 宗教上、慣習上の問題
      宗派や家のしきたりにより「自宅保管は認められない」とされる場合も。
    2. 将来的に引き継ぐ人がいない場合のリスク
      自宅供養のまま故人の家族がいなくなると、その後の処置が不透明になりがち。
    3. 周囲の理解が得られないケース
      親族間で価値観が違うと、トラブルになることもある。

第4章:墓じまいを経て考えた「供養とは」

私の父と私が経験した「墓じまい」は、正直なところ手続きや費用面で予想以上に大変でした。しかし、それと同時に「先祖を敬い、供養することの本質はどこにあるのか?」と改めて考えるきっかけにもなったのです。遠く岩手県にある大きなお墓を手放すことは、一見すると「ご先祖様に申し訳ない」行為のように感じるかもしれません。でも、誰も見に行くことのできないお墓をそのまま放置するのは、果たして本当に“先祖を大切にする”ことなのか。むしろ、定期的に手を合わせやすい場所に遺骨を迎え、毎日思い出せる環境を整えることのほうが、ご先祖様の思いに応えることになるのではないか——父とそんな会話を何度も重ねました。

結果的に、父自身は「いずれ自分が亡くなった時にも、お墓はどうしようか……」と考えるようになり、そこに浮上した選択肢の一つが「自宅に置ける小さなお墓」でした。昔だったら「お墓はお寺の境内に建てるもの」という常識しかなかった父が、いまこうして“自宅にお墓を置く”という新しい供養のスタイルを前向きに検討し始めたのは、とても象徴的に感じます。


第5章:各種の新しい供養スタイル

「自宅に置ける小さなお墓」以外にも、近年はさまざまな新しい供養スタイルが注目を集めています。たとえば「樹木葬」「散骨」「永代供養墓・合葬墓」など。これらは、いずれも「お墓を維持するのが難しい」「子どもや後継ぎがいない」「自然に還りたい」というニーズから生まれた選択肢だといえます。

樹木葬・自然葬

山林や霊園に樹木や花を植え、その下に遺骨を埋葬するという形です。石の墓石を建てず、自然と一体になって眠るという考え方が特徴的で、特に自然志向の方や、「家族に負担をかけたくない」という思いを持った方から支持を集めています。
一方で、土地の借用年数や管理形態が霊園によって異なるため、事前の調査や契約内容の確認が重要です。

散骨

海や山、空などに遺骨を撒く供養方法です。環境保護の観点や各自治体の条例も絡むため、実施には専門の業者に依頼することが多いです。ゆったりとクルーズ船に乗って海へ散骨するプランや、故人が好きだった場所の近くで散骨するといったケースもあります。ただ、親族や地域の理解を得にくい場合もあるので、十分な説明と同意が必要です。

永代供養墓・合葬墓

寺院や霊園が管理し、遺骨を一括して安置する形態です。後継者の有無にかかわらず寺院側や施設側が一定の供養を続けてくれるため、子どもがいない方や単身者にとって大きな安心感があります。また個別の区画をもつのではなく、合葬という形をとる場合は費用も抑えられます。


第6章:小さなお墓と日本の行方

こうした多様な供養の選択肢が増える背景には、人口減少と高齢化だけでなく、“個”を重視する時代の価値観があると感じます。自宅に置ける小さなお墓は、まさに「身近で自由な供養」を象徴するスタイルといえるでしょう。

一方で、日本には古くから「家(いえ)」や「本家・分家」といった制度に根ざした葬祭文化があります。地域によっては厳格なルールや慣習がいまだ色濃く残っており、自宅供養などを選択すると周囲との摩擦を生む可能性も否定できません。「祖霊はお墓にいる」「ご先祖様を大切にするなら、きちんとしたお墓を建ててお寺で法事をするべき」という考え方が当たり前の地域では、いきなり手元供養に切り替えるのは難しいかもしれません。

しかし、時代の潮流は着実に変わりつつあります。若い世代の中には「むしろ形にこだわらず、思い出を大事にしたい」「お墓参りに行くことが難しいなら、身近にお骨を置いてずっと偲びたい」という声も少なくありません。結局のところ、供養とは「故人をどれだけ思い、敬う気持ちを持ち続けられるか」に尽きるのではないでしょうか。場所や形式はあくまで手段であり、目的ではないはずです。


第7章:実体験からの学び

墓じまいを終えてしばらく経った頃、父はある日、私にこう言いました。「やっぱり、どんな形であっても先祖を大切にする気持ちがあれば、それが供養だと思うよ。まわりに理解してもらう努力は必要だけど、自分たちの暮らしや気持ちに合った供養を選ぶのがいちばんだと感じる」と。

私はこの言葉を聞いて、少し心が軽くなった気がしました。というのも、最初は「お墓を手放すなんて」と、どこかで罪悪感を抱いていたからです。でも実際に動いてみると、お寺の事情、地域の高齢化、費用の問題……いろいろなリアルを目の当たりにし、「これまで通りのお墓の管理は厳しい」という現実を思い知ると同時に、供養の本質を考え直す機会にもなったのです。


第8章:自宅に小さなお墓を置くまでのステップ

もし、自宅に小さなお墓を置くことを検討する場合、具体的にはどんなステップが必要になるのでしょうか。ここでは簡単にその流れを整理してみましょう。

  1. 自宅供養への理解と確認
    家族や親族、あるいは自身の信仰している宗派に確認しておくことをおすすめします。宗教的な問題や慣習に反しないか、親戚からの反発はないかなど、事前の調整が必要です。
  2. 遺骨の扱いについての情報収集
    遺骨を自宅に置く場合、一部だけ手元供養用に分骨するか、すべてを持ち帰るかで手続きが変わることもあります。市区町村の窓口や自治体のサイトなどで確認すると良いでしょう。
  3. 容器・ミニ仏壇の選択
    「小さなお墓」と呼ばれるものには多様なデザインがあり、価格帯もピンキリです。インテリアに合ったもの、予算に合ったものなど、じっくり検討すると良いでしょう。
  4. 置き場所の確保
    家の中のどこにどう置くのか。仏壇専用の部屋がある場合は検討しやすいですが、ない場合でも、棚や台の上など、日常的に手を合わせやすい場所を考えてみてください。
  5. 将来のプランを立てる
    自宅供養はメリットも多いですが、将来的に誰が引き継ぐのかといった問題は常につきまといます。自分が亡くなったあとの遺骨の行方も含め、エンディングノートなどでしっかり整理しておくことが大切です。

第9章:地域コミュニティとお寺の新たな取り組み

最近では、「お寺そのものをコミュニティスペースにして、地域の人々が集える場所にしよう」という動きも各地で見られます。少子高齢化によって、ただでさえ檀家が減りがちな状況を打開すべく、お寺をカフェやライブ会場に開放するなど、さまざまなアイデアが試行されています。そうした流れの中で、「お墓」という概念もよりオープンに、柔軟に捉えられる土壌が育まれていくのかもしれません。

一部の寺院では「手元供養」向けに小さな骨壷の開眼供養(お骨を安置する前にご住職にお経をあげてもらうなど)を請け負い、定期的に供養祭を開いて地域住民や遺族の方たちが参加する取り組みも見られます。こうした試みは「自宅で供養したいけど、周りに理解してもらえるか不安」「お寺とのつながりを断ちたくない」という人たちを後押しする大きな力となるでしょう。


第10章:私たちが紡ぐ「これからの供養の物語」

今後、日本はさらに人口減少と高齢化が進むと言われています。地方も都市部も関係なく、あらゆる施設・組織が人手不足に悩まされることになるでしょう。お墓の維持・管理を当たり前のように担ってくれる寺院や霊園が、いつまでも存在するとは限りません。そうした“未来予測”の中で、「お墓をどうするか」は誰にとっても深刻なテーマになっていく可能性があります。

「自宅に置ける小さなお墓」の登場は、その大きな潮流に対する一つの答えかもしれません。もちろん万能ではありませんが、“自分の最期”や“家族の遺骨の行方”を現実的に考えたとき、これまでのお墓の在り方にとらわれない選択肢として、今後ますます注目されるのではないでしょうか。

ただ、供養の方法は一人ひとり違っていいし、違って当然です。大切なのは、それぞれの家族の物語や事情を尊重しながら、みなさんが「納得のいく形で故人を偲ぶことができるか」という点。その意味で、墓じまいを経た私と父の体験は、“新しい供養の形”を手探りで模索するプロセスでもありました。

終わりに

いま、目の前にある「自宅に置ける小さなお墓」は、かつては想像もしなかった選択肢かもしれません。しかし、大きなお墓を管理し続けることが困難になってきた今の日本において、ある意味「必然的に生まれたもの」ともいえます。

もし、あなたが今後、お墓や供養について悩むことがあれば、「本当に自分たち家族に合った形は何だろう?」と改めて考えてみてください。伝統的なお墓を守るのも立派なこと。手元供養や樹木葬、散骨などを選ぶのも立派なこと。どんな形であれ、故人や先祖を思う気持ちが大切にされるのであれば、それが“いまの時代の供養の形”なのだと思います。

私自身は、父とともに遠く岩手のお墓を閉じることになりましたが、実際に墓じまいを経験することで、「ご先祖様への感謝」という気持ちを一層強く意識するようになりました。お墓が遠くにあっても近くにあっても、あるいは無くても、先祖や故人を大切に想う心は変わらない。そう気づけたのは、大きな収穫でした。

さらに言えば、この体験があったからこそ、「自宅に置ける小さなお墓」の利点や魅力をより深く理解できたように思います。高齢の父も、これならばいつでも手を合わせられるし、負担も少ないと感じているようです。やがて訪れるかもしれない私自身の死に際しても、子どもや孫たちに無理をさせたくない。そのときに「こうした選択肢もあるんだよ」と示せることは、ある種の安心材料にもなっています。

10年後、20年後、さらなる時代の変化の中で、お墓という存在はどうなっていくのでしょうか。もしかすると、私たちの想像を超えた画期的な供養スタイルが登場しているかもしれません。それでも変わらないのは、「私たちは大切な人を思い、敬いたい」という普遍的な願い。そして、その気持ちをどう形にするかという問い。場所や形式にこだわらず、自分たちなりの答えを見つけることこそが、これからの供養の物語を紡いでいく鍵になるのではないでしょうか。

墓じまいをきっかけに、“小さなお墓”へと向かう私の家族の選択は、一つの事例にすぎません。しかし、“自宅にお墓を置く”という考え方は、まさに時代が求めた一つの必然と言えるでしょう。あなたの家族にとってベストな供養の形は何なのか——その答えを探す旅に、少しでもお役に立てれば幸いです。

-いのりの日記, お客さまの声, 分骨, 商品紹介Photo, 手元供養と祈りについて, 骨壺
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